自宅奥で今まで保管していた9821Raを手放しました。
今回の話は私個人の思い出話しのような内容ですので、興味ない方はスルー推奨です。

初代FMP開発機

今になってみるとなんであんなにNECのパソコンを使うことに嫌悪感を持っていたのかわかりませんが、その当時の私はシャープ党でした。
その時に所有していたパソコンはX1turboという機種で、Z80というCPUが搭載されたパソコンです。
このパソコンでBASICと機械語というものの違いを覚えました。ただX1用の機械語の本などは当時なかったので、PC88用の機械語の本です。最初はその通りにやっても全く動かず(動かないどころかすぐに飛ぶ!)、BASICのようにちょっと変えるだけじゃだめなんだということも覚えました(笑)
今になってみれば「当たり前だろう」ということなんですが、周りにはそんなことを教えてくれる人もおらず、手探りとはまさにこんな状況のことをいうのだと思います。
話がずれてしまったので、初代FMP開発機のことに戻しましょう。
そんな私だったので最初に買った16bit機はEPSON 286VEでした。これは当時アルバイト先で使っていた9801(多分VM21だったと思います)の環境が個人で必要となってしまったからです。
9801を使うことになったのはPCエンジンのゲームを作っていた頃で開発環境がNECじゃないと動かなかったんですね。(PCエンジンですから^^)
最初はいやいや使っていた記憶がありますが、使ってみるとMS-DOSは使いやすかった。MIFESも良かった。エコロジーも良かった。
たくさんのユーザーを持つパソコンはこんなにいろいろなソフトがあるのかと驚いたものです。
で、9801環境が必要となったのはその後にソーサリアンの追加シナリオの担当となったためで、会社に1台しか開発環境がなく、3人で交代で開発するのは無理ということになり、なぜか個人で買うということになったんです(笑)
286VEは早かったですねぇ。キーボードがNECのものとは全く違い違和感は強かったですが、そのうちに慣れました。
ウイルスというソフトが現れたのもこの頃でMS-DOSで初めて作ったのがこのワクチンソフトでした。当時かいむの家で見せてもらったトップをねらえ!に影響を受けて、そんなメッセージを出しながらチェックするというものだったと思います^^;
昔KGBにアップしてありましたが、プログラムもソースも残っていないです。

開発データはHDDに当然入れて置くのですが、当時のHDDはシークも読み込みも遅かったです。メモリも640Kbyteが標準なんでディスクキャッシュというものもなく、MIFESのようなサイズの大きなソフトは起動までに時間がかかるのが難点。
そこでEMSをRAMディスクとしてそこに開発環境やツールを一時的にコピーして利用する方法をとっていました。当時のEMSは4Mbyteで7~8万円する高価なものでしたが、MIFESが1秒で起動する快適さには負けました(笑)
電源を切らなければリセットだけでは消えない仕様なんですが、リセットするということはだいたい暴走が多いので、よく消えて痛い目をみました。
この環境で開発したのがYM2203対応の98版FMP。それをYM2608対応させて88VAに移植したFMV。後にスピークボードが発売された際にVer3として発表したFMPはこのVA版を逆に再移植したものです。しばらくは両環境でアセンブル出来るようにdefineで対応していましたが、98環境に依存しすぎてタスク対応の際に完全にVA版はソース上からもなくなりました。
当時は面白がっていろいろな環境で鳴らしていました。MC68000の勉強のためにX68000用に移植したFMX。結局コンパイラを作らなかったので、oviデータが鳴るだけでした。この時にYM2151のことを調べていたのがFMP7のOPMコア作成の時に役にたちました。無駄にはならないものです(笑)
他にもFM TOWNS用に移植したFMT。TOWNSのMS-DOSはプロテクトモードで動作させないとI/Oなど叩けないようになっていて面倒でしたね。それはx68kもそうでしたが。あとcom形式のプログラムは動かないため、exeモジュールに変更しています。これも面倒だった。
SHOOTING TOWNSで使ってくれる的な話しもあったんですが、卒業もあってお流れ。この時にちゃんと32bitアセンブラ覚えておけば良かったかな。ま、使う機会はなかったかもしれませんが^^

二代目開発機

うっきーさんがPPZを開発し、周りも買い替えが進む中、ついにNECのパソコンを購入します。
それが9821Ap2です。このパソコンからHDDが内蔵となりました。FDDが1台となってしまいましたが、あまりゲームをしない私にはほぼ影響はなかったです。
この時に作っていたのがVer4系のFMPですね。PPZの音質を上げても処理落ちしなくなりました。私がPCの能力に頼るようになったため、この頃からFMPは重くなったと言われるようになりました。すみません…。
Ap2を使って不便だったのは、YM2608が内蔵されているにもかかわらずスピークボードを使わなければならないこと。というのも、内蔵音源にはADPCM RAMが搭載されていなかったのです。
これを解消してくれたのが「ちびおと」でした。当時ヒロセパーツが閉まってもう手に入らないかもという貴重な64pinSDIPのソケットを使ってGRIFFさんに取り付けて頂きました。
音源はかなり奥底でマザーボード上の位置からして自分で半田するのは大変だったなぁと感謝しております。
Ap2に変えてからもう1つ変えたものがRAMディスクからシリコンディスクに変えたことです。
FMPの繋がりで今でもお世話になっているHypS氏宅に行った時に見慣れぬメルコの周辺機器がH98に接続されていました。それが128Mものシリコンディスクです。(それ以上に当時100万近くする4096色対応の液晶モニタを使っていて驚いたのですが^^)
EMSなどのRAMディスクは拡張I/Oポートに接続します。ポートは本体電源を落とせば電源の供給は止まります。必然的にRAMディスクも消えてしまいます。
メルコのシリコンディスクはI/Oボードは単なるデータやり取りの接続用、RAM自体は外付けのBOXにあります。BOXには外付け電源が供給され、98本体の電源を切ってもRAMには電気が供給されつづけ、RAMも消えないという仕様です。
私が購入したのはアイ・オー・データの32Mのシリコンディスク。こちらはRAMは拡張ボード上に搭載され、外付けのBOXはありません。だとすれば本体の電源を切ると消えちゃうんではと思われると思いますが、RAMが違うんです。
メルコのはD-RAM、アイ・オーのはS-RAMなんです。ただしS-RAMと言ってもフラッシュメモリと違い全く電源が必要でないわけではありません。リフレッシュが不要なだけで電源は必要になります。そのためにボードにはバッテリーが搭載されていました。
RAMの消費電力の違いでS-RAMならバッテリー程度で数日はデータが消えないということです。ただし、S-RAMが高いのが難点。メルコの容量の半分くらいで同じくらいの値段だったように思います。
HypS氏はシリコンディスクをHDDの一部として、私は作業場としてなので容量は少なくても良いかということになったわけです。あと、「電源周りの半田不良が最初あって全部消えたよ(笑)」という笑えない彼からのアドバイスはとても参考になりました^^;;
DOSの開発環境は快適になりました。DOSで使わない640K以上のRAMはディスクキャッシュにし、普段使うツールなどはシリコンに、データやバックアップはHDDに、音源は内蔵+スピークボード。
使うツールもいろいろと変わっていました。MIFESからVzに、まいと~くからKTXに、エコロジーからFDに。
後期にはFMPもVer5とするべくテストをしていたのもこの頃です。Ver5のFMPが音源ボード3枚しか対応しないスペックなのはこのPCの環境によるものです。
Ap2の拡張スロットは4つあります。私の利用状況はこんな感じ。

  1. シリコンディスク
  2. グラフィックアクセラレータ(Win用)
  3. 音美ちゃん
  4. 音美ちゃん

これに内蔵の音源を合わせるとちょうどVer5のスペック(2608×3+3438×2)になるでしょ。拡張スロットが6つあったら音美ちゃんは088h-388hまで対応していたので、やっちゃった「かも」しれないですね。ただAp2だと動かせなかったかもしれませんが。あのスペックで全部鳴らしてFMM動かすとぎりぎりだったんで。com形式で作っていたのでメモリなどの管理でも無理だったかも。exeにしないと。

MS-DOS最終開発機

これが今回手放した9821Ra20です。
これが最後と思い、17インチモニタ共々奮発して買った記憶があります。
こいつはPentiumProというCPUなんですが、起動時のメモリチェックが遅くて参りました。メモリは遅い以前に高くて驚きました。パリ付きが必要でSV98系のメモリが必要でした。128M増設して本体の倍くらいかかった記憶があります。おいおいって感じでした(笑)
このCPUは32bitアプリケーション向けにチューニングされていて、16bitの動作には不向きと言われていましたがAp2の486DX2と比較するととても軽快でした。Ap2でやっと動く感じだったVer5は軽々動いていましたし、PPZ8で44KHz指定をしても全く問題になりませんでした。
シリコンディスクも問題なく動作しましたし、起動してしまえばさほど問題はありません。あ、1つだけ。HSBが全く動かなかったこと。これには参りました。環境チェックでさえ固まってしまうので、利用できませんでした。起動が遅く、その上リセットスイッチがないマシンだっただけにこれは痛かったです。

それまではあまり気にしていなかったのですが、手放すとなると中に残してあるデータなどが気になっていました。
HDDのデータは半ば諦めていたのですが、内蔵HDDだけは最後までエラーもなく読み書きできたので、ume-3さんに協力頂きイメージ化することが出来ました。ありがとうございました。
もう98系のノウハウはすべて忘れてしまったのでエミュレータ環境があっても今から開発することは出来ないとは思いますが、無くなったと思っていたVer5のソースも(いつの段階のものか不明ですが)一応ありました。形として発表出来ずに北海道の方々にはご迷惑をおかけしてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。(それ以上に北海道ではご迷惑をおかけしていますね…)

FMPの音楽ディスクはVol.4以降はこのPCで開発しました。音楽ディスクのマスターアップ前に綱島でスタッフ泊まりこんで手伝ってくれた時に使っていたのがこのPC。そして、シリコンディスク飛ばしてコミケ落としたのもこのPC。(音楽ディスクのことはいずれいろいろとネタにしますよ^^)
WindowsNTを初めてちゃんと使ったのもこのPC。NT4.0が発売されていろいろと遊んでみたのもこのPC。yu-no向けに音源ドライバ拡張したのが業務での最後、音楽ディスクVol.9の動作確認で久しぶりに起動、そして茶箱で行った最後のライブの動作確認で使ったのが本当に最後の仕事になりました。

その日の朝まで普通に起動して動いていたのですが、引取査定の際にメモリがパリティエラー出して起動しないという芸当で最後まで楽しませてくれました^^;

Ra20
査定が終わって記念撮影。
使いやすい部分も使いにくい部分もたくさんありましたが、最後の98環境でした。

CD
昔のGMのCDとかも引き取って頂きました。MSX版パロディウスの8cmCDや、悪魔城ドラキュラの楽譜なんかも。


音楽ディスク
同人ソフトも買い取りしますよ~と言われたので、音楽ディスクのストックがあったので試しに査定してもらいましたがCDが100円でよければとのこと。
こちらはそのまま残してありますが、もう読めないんじゃないかなぁ。


その他DVDやコミックなど大半が値段にならないようなものばかりでしたがダンボール3箱すべて引き取って頂けました。
X68kのソフトがダンボールに2箱くらいあったんですが、去年の事件ですでに全て処分してしまってありました。もう少し早く知っていればこれだけで数回飲みに行けたんだけどなぁ(笑)

部屋は片付いた。が。

処分に困っていたx68kの専用モニタなども買い取って頂き助かりましたし、処分料がかかるPCを買い取って頂けただけでなく、物入れが整理出来て収納スペースが増えたのは喜ばしいことでしたが、何やらちょっと寂しい感じもしました。

BEEPさんでRa20を見かけたらもしかすると私の手元にあったもの「かも」しれません。私も大事に使ってあげたものなので、買われた方も出来れば大事にしてあげて下さいね。